青森は天気が少し悪そう、霧が出ているしこの先大丈夫かなぁ。国道338は。海峡ラインとも呼ばれて海沿いを走る良いワインディングになっている。
大間から20キロ行った所に、仏が浦という名所があるようで途中だから寄ってみよう。道中は霧が出て今にも雨が降りそうな天気、ちゃんと見れるかな~。
で、着いてみると
やっぱりだめか…
残念なことに霧で何も見えない。仕方ない、先に進もう。
それからは道なりでむつ市を通り、陸奥湾を右手に見ながら下北半島から青森市の方向へ進んだ。
椿山キャンプ場
さて、今日の寝床は陸奥湾に少し出ている陸地の海辺のキャンプ場に決めてある。国道4号線から県道9号線で向かう、場所は先端に近い。
ほどなくして到着
ここは夏泊半島にある椿山キャンプ場だ。無料で利用できる貴重なキャンプ場で、どこまでがサイトか分からないが面積は相当広い。
北側は松林、南は砂浜、それを分けるようにトイレと炊事棟が並ぶ。
橋を渡った先も草地が続いて、ここらへんも多分サイトだと思う。
適当に橋の近くに張ってみた。
赤い橋がはりまや橋を連想させる。
キャンプ場周辺は、コンビニ等はなく事前に食料品の準備はしておくこと。それと、温泉はなくはないがここから相当離れているので風呂も先に入って来るか、今日の自分のように諦めるかのどちらかになる。
今回も完ソロだな、利用者はいないし周りに人気はない。本州に戻ってきたからか、北海道より夜でも少し暖かい。熊の心配はいらないしよく眠れそうだ。
雪中行軍遭難事件
朝だ、今日も天候に恵まれ移動日和。ささっと荷物をまとめて出発だ。最初に行く所は、青森市の南にある八甲田山だ。
あの有名な帝国陸軍よる雪中行軍遭難事件が起こった場所である。山のふもとまで県道40号線ですぐだ。道の進むにつれて標高がかなり上がって、市内では見なかった雪が道路わきに高く積もっている。
どんどん登って茶屋に到着
茶屋前に八甲田山系の山々が見える。いまだに雪が残っているのは、それだけここが超極寒の土地だという事が分かる。
茶屋の裏には、ここで発見された後藤伍長の銅像がある。訓練に参加した200数人中この周辺で凍死、低体温症で199人の将兵が犠牲になった。
銅像までの道のりは、まず高く積もった雪の壁をよじ登るところから始まる。
雪の積もる量は尋常ではなく、さすが有数の豪雪地だ。
積もった雪の上を歩くの初めての経験でこれはこれで面白い。銅像付近の白樺の林を歩いていると、突然右足が根元まで雪に埋まった。
どうやらこの下は何もなく、空洞になっていたみたいでそこを踏み抜いてしまったらしい。幸い、前にこけるように倒れたので下まで落ちることはなくてよかった。今までの楽しい気持ちが一種で恐怖に変わった瞬間でもある。
いやいや、これは本気で危ないぞ。もし埋まったらここで遭難してしまうし、遭難の地で遭難は洒落にもならん。
危ないから四つん這いになって慎重に進んだ。かっこ悪いとかそんなの関係ねぇ。
100メートルぐらい進んで
やっと着いた
像はどこか遠くを見ていて、身なりは事件が起こったのが100年以上前だから時代を感じる装備だ。雪山に挑むというのに、かなり軽装だと素人目にも分かる。
来た道を振り返ると、こんな風に白樺の林がある。
こんな所でも普通に迷いそうになる、気を付けよう。
もうひとつ事件にまつわる場所があるのでそこへ行ってみよう。
八甲田山雪中行軍遭難事件資料館
来た道(県道40)を青森市内の方に進むとこの資料館がある。資料館には当時の写真と、高倉健主演の映画の映像とで10分ぐらいのショートムービーがあり事件の内容を短い時間で知ることができる。
そして、細かい資料も展示されているので、より深くいきさつや装備の不具合に、雪山走破における認識の甘さが良くわかる。
また館外には、将兵たちの墓標がずらりと並ぶ。こういった慰霊碑やお墓などは、まとめて一つになっていることが多いがここでは一人一人に作られている。
丁寧に一人づつ供養する気持ちの表れなんだろうか。
青森を訪れるなら、伍長の銅像とセットで資料館にも立ち寄ってもらいたい。八甲田山のきれいな景色も十分見ごたえがある。